2012年8月5日

8/5 ミニトーク2「Food Relation Network」

淡路島、最後のミニトークは、司会にケン・マスイ、ゲストに笹島保弘シェフと奥田政行シェフを迎えて、「Food Relation Network」(以下、FRN)について語りました。

「イル・ギオットーネ」のオーナーシェフであり、今では小林武史と共に「code kurkku」のプロデューサーでもある笹島シェフ。実は、ap bank fesには2009年から一般応募で出店参加していたそう。
「ap bank fesの取り組みは初年度からDVDで見て感銘を受けていたんです。本来なら料理人がやるべき食に関するリレーションをミュージシャンの方々がやっている、これはぜひ体感しなければ、と。」と語る笹島さん。
今回もイル・ギオットーネ&code kurkkuとして、eco-reso nelioに参加してくれています。

「アル・ケッチァーノ」オーナーシェフの奥田さんは、今回の会場であるここ淡路島で新たな食の取り組みに参加しているそう。廃校となってしまった小学校を改装した場所にできたイタリアンレストランで若者に料理を教えたり、奥田シェフの元で修行したシェフが、奥田シェフと一緒に考案したオリジナルメニューをこのレストランで提供していくというもの。

笹島シェフも、小林武史と一緒に新たなプロジェクトを始めようとしているとのこと!
なんと、大阪に新たなお店を出店するそうです。
今、笹島シェフが手がける京都の「イル・ギオットーネ」では、9割くらい地元の食材を取り入れているそうですが、今度のお店は、“大阪にいながら日本全国の食材を味わえるお店”にできたら、と考えているそう。FRNを体感できるメニューを考案中とのことで、お客さんの期待度も高まるニュースでした!

2012年8月5日

8/5 ミニトーク1「全国の支援者の想いをつなぐ震災地雄勝の“新しい町づくり”について」

最終日、第一回目のミニトークはつま恋に引き続き、株式会社OHガッツの立花隆さんが登場。
meets 福しまの宍戸慈さんが進行を務め、「全国の支援者の想いをつなぐ震災地雄勝の“新しい町づくり”について」をテーマに、お話を伺いました。


東日本大震災を機に、出身地の宮城県へと戻ってきた立花さん。
現在は、地元の仙台から更に北に80kmの位置にある「雄勝町」で生活しています。
雄勝町は美しいリアス式海岸に面し、昔から養殖業が盛んだった場所ですが、もともと高齢化が進んでいたこの町を襲った震災により、人口の8割が流出してしまいました。

そんな町をボランティアで訪れた際に、立花さんは漁師たちの声を聞きます。
「家も漁具も船も、そして身内まで失った人たちが、食べるものもないときに“新しい漁業をするぞ”と言うのを目の当たりにして、人間の深いところから出るエネルギーを生まれて初めて感じたんです」(立花さん)。

そこで立花さんは住民票を雄勝町に移し、地元の漁師たちと共にOHガッツという会社を立ち上げて、野菜のように、魚介の契約販売をおこなう「そだての住人」をスタート。
雄勝の自然が育んだ、おいしい牡蠣やホタテなどが送られてくるだけでなく、実際に作業を見学・体験することで、漁業を身近に感じることができる取り組みです。

生産者と消費者という枠を超えた、新しいコミュニティづくりのかたちである「そだての住人」には全国から2200人が参加、1年間で4500万円が集まり、漁師さんたちは漁業を再開するための道具や設備を整えることができたのだそう。


被災地では津波によって一気に問題が引き起こりましたが、これは日本が抱える根本的な問題。
数年後には過疎化や漁業が衰退して、日本全体で同じような状況になるのではないかと、立花さんは語ります。
「生まれたときよりも、山や海をきれいにして次に渡す」という立花さんの言葉には、これからの日本の在り方への重要なヒントになるように思います。

「震災から1年半、被災地はがれきの撤去以外にはまだ何も変わっていないような状況です。
だから、時間がたったから行きづらいということはありません。
ぜひ、みなさんも被災地に足を運んで、そこに住む人々の営みを感じ、笑顔を見ることで逆に元気をもらってほしいですね」と、話してくれました。


雄勝の人々を映すスライドを見ながら、生き生きとした顔で話す立花さん。
日本の農業や漁業はまだまだ大きな可能性を秘めている、ということを感じさせてくれました。

2012年8月5日

8/5 eco-reso talk「日本の王道」


淡路島2日目のeco-reso talk。
ナビゲーターは小林武史、ゲストには話題になった書籍『日本の文脈』の共著者である思想家の内田樹さんと中沢新一さんを迎えて、この国の抱える問題点や可能性についてを語り合いました。
TPP問題や沖縄問題、アメリカとの関係性まで、話すべきテーマは多岐に渡り、議論は尽きぬよう。
中でも3人が共通して重要視していたのは、“農業”に関すること。


第一次産業である農業を抜きに、経済を考えることはできないと中沢さんは言います。そして「音楽と農業は構造が似ている」とも。
「音楽というものは、もともと自然にあって人間に働きかけてくるもの。一次産業もまた、自然のサイクルというものがとても大切になるもの。そういう意味で、音楽と農業は深い所で繋がっているのかもしれない。小林さんが農業にこだわるのは、すごく深いところで何か反応しているからなのではないかな」と言う中沢さんの言葉に、千葉(耕す 木更津農場)で農業に取り組んでいる小林も深く頷いていました。


神戸在住の内田さんは淡路島の玉ねぎ農家のオーナーをしているそう。
「僕は自分で畑はやらないですよ。シティボーイだから。」という内田さんの言葉に、中沢さんも小林さんも笑いつつ、「僕みたいなスタイルで農業に関わる人間もいる。小林さんのap bankのようにやっている人たちもいる。中枢的な人物がいて大きくやるんじゃなくて、色々な場所で同時多発的に、それぞれ色々な形でやっていくのでいいのでは」という意見には深く同意していました。


人の手を必要とする農業は雇用を増やすという点もあります。
日本の未来にとってさまざまな課題があるなか、“農業”はひとつのキーポイントになるのではないかと気付かせてくれる、とても有意義なトークでした。

2012年8月4日

8/4 ミニトーク2「神戸から石巻へ。人がつなげるボランティアネットワーク」

eco-reso boothでのミニトーク2本目は、一般社団法人 ピースボートの代表理事である山本隆さんをゲストに迎え、ボランティアネットワークをテーマにトークが行われました。ナビゲーターは、おなじみのケン・マスイです!
テーマは「神戸から石巻へ。人がつなげるボランティアネットワーク」。

山本さんは阪神大震災を始め、インドネシア・ジャワ島での震災やスマトラ沖地震、アメリカでのハリケーン、カトリーナ被害などにもボランティアとして復興活動をしてきた経験の持ち主。
震災被害、津波被害といっても、その土地柄によって、被害状況や課題点がいろいろと違ってくるそう。

例えば、東日本大震災のときは、阪神大震災の時に比べて被災地のもともとの地域コミュニティや近所付き合いが強かったので、そこは地元の人々に任せてボランティアは土地の再建作業に力を入れたそう。
そして、東日本大震災では、自分たちの被災経験を基にボランティアに取り組んでくれる阪神大震災経験者の力も大きかったそうです。

淡路島会場は関西方面からきているお客様も多く、トーク会場で山本さんが「阪神大震災を経験した方はいますか?」と尋ねると、客席の半数近くの人の手があがりました。
「ボランティアをするときには、これまでの経験を生かして次につなげることがとても大切です。同時に、例えば東日本大震災では放射能という問題が生まれたように、新しい課題も必ず出てきます。でも復興への想いはみんな同じはず。その想いを胸に、みんなで取り組んで欲しいと思います」という山本さんの言葉に、会場のみなさんは深くうなずいていました。

2012年8月4日

8/4 eco-reso talk『新しい日本のパースペクティブ』

淡路島にて第一回目のトークステージは、eco-reso nelioの客席の足元に水がはられた円形ステージにて行われました。

ステージの向こう側には青い空と緑、そして足元には水。
海風が抜ける気持ちのよい雰囲気です。
ステージに現れた小林武史も「みなさんいいですねえ。僕もそちら側に座りたいです」と羨ましそう。

ゲストは日本の新しい漁業を目指す合同会社「OHガッツ」で漁師として活躍している立花貴さん、衆議院議員の辻元清美さん、ピースボートの吉岡達也さん。
震災をとおして見えてきた新たな日本の未来と、被災地から芽吹きはじめた日本の可能性とその課題を語りました。

仙台出身である立花さんは、東日本大震災の際に家族の安否確認に戻り、そのまま雄勝町に残りボランティアを手伝っていたそう。
甚大な被害を受け、人口の8割が外に出てしまったその町で、「新しい漁業を始めよう」と立ち上がった人々を見て「自分も考えるのをやめて、湧いてくるエネルギーにまかせて行動しよう」と思ったそう。今は20年以上暮らした東京を離れ、雄勝町で漁業に取り組んでいます。


衆議院議員の辻元清美さんは、早稲田大学在学中にNGO「ピースボート」を設立した経歴の持ち主で、東日本大震災の際には災害ボランティア担当内閣総理大臣補佐官を務めました。
同じくピースボートを立ち上げた吉岡達也さんと、辻元清美さんとはなんと中学校時代に同級生だったそうです!

「人間はもっと謙虚になって自然と共生していかなければ。自然との付き合い方を変えていくべき。」と小林は言います。
阪神大震災の時にそのことに気が付いた人も多かったはず、あれがひとつの転換期だったのでは、とも。
当時からボランティア活動をしていた吉岡さんと辻元さんも、「あの震災で、ボランティアの重要性が注目された。今回の東日本大震災には100万人を越えるボランティアの人々が訪れた。みんなの気持ちが変わってきていると感じる」と続けます。

「東北にボランティアに行く人も、デモに行く人想いは同じ。“原発を動かさないと経済が大変になる”というのは本末転倒。それなら原発を動かさないでも大丈夫な経済に変えなければ。ギアチェンジをする時期がきています」と辻元さん。
「いま、政府が「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集(パブリックコメント)を求めています。この会場の、think energyのブースでもパブコメに答えられますのでぜひみなさん足を運んでください(※1)」と吉岡さん。
これまで数々の災害対策やボランティアを経験してきた二人は、「結局は人の力。小さな種を撒くことによって、大きな実がなることがある。ボランティアでも一人ひとりの小さな力が大きな動きになる」と結びました。

(※1)パブリックコメントはこちらからも応募できます。
内閣府のページへ。
https://form.cao.go.jp/aec/opinion-0027.html