2012年8月19日

8/19 ミニトーク2 『贈る図書館について 〜野田村のその後〜』

みちのく最終日、最後のミニトークは、岩手県野田村の野田村役場職員・貮又正貴さんをゲストにお招きしました。司会はお馴染み、ケン・マスイです!

テーマは『贈る図書館について ~野田村のその後~』。
“贈る図書館”は、ap bank Fund for Japanの活動として、行われていた、東日本大震災の被災地の子どもたちに絵本を贈るプロジェクトです。
もともと、貮又さんと親交のあったMy Little Loverのakkoさんが、震災後に貮又さんに「何か支援できないでしょうか?」と連絡をしたところ、「避難所で親子の日常が感じられる何かを」と思い、“読み聞かせ”のできる絵本を贈ってもらいたいとお願いしたことがこのプロジェクトの始まりでした。

貮又さんは、電気などのエネルギー不要で“日常”を感じることができた絵本はとても重要な役割を果たしたと言います。また、支援してくれる皆さんの想いを強く感じたそう。

今日は貮又さんからうれしい報告がいろいろとありました。
震災から1年が経ち、今年5月、野田村立図書館が復旧をしたそうです。その時、全国から贈られた本のために、新たにコーナーを設けたそうです。
昨年のap bank fesでのトークショーをきっかけに、akkoさんがその図書コーナーの名前をブログで公募し、村教育委員会とも協議して、「my little library」になったそうです!

以前は重油を燃やして製塩していた製塩工場が、震災後は津波でだめになった防潮林の松の木を重油の代わりに燃やして伝統的な直煮製法と同じ昔ながらの塩作りをしている「のだしお」や、仮設住宅の入居者が中心となっている「ダラスコ工房」の木工雑貨など、震災後、野田村ではいろいろな新しい取り組みも生まれているそう。

最後に「全国からの多くの支援をいただいて村は復旧しています。長い時間をかけても、お預かりした御恩はお返ししたい。震災後、みなさんとの横の繋がりで助けられてきました。そこで抱いた感謝の気持は、子供達の世代まで、縦のラインで伝えていきたいと想います」と貮又さんは結びました。

2012年8月19日

8/19 ミニトーク1 「東北コットンプロジェクト」


ミニトーク、午前中のテーマは「東北コットンプロジェクト」。
仙台東部地域綿の花生産組合の組合長・赤坂芳則さんをゲストにお招きして、
meets 福しまの宍戸慈さんの司会によりトークが展開されました。

みなさん、「東北コットンプロジェクト」をご存知ですか?
このプロジェクトは、東日本大震災の津波被害によって
稲作ができなくなってしまった農地に綿を植えるというもの。
kurkkuやap bankをはじめとする、さまざまな企業や団体、
そして人々がこの想いに賛同し、この活動に参加しています。


赤坂さんは、荒浜地区で30年間に渡って稲作をおこなってきた農家さん。
今回の震災で家を失い、田んぼも荒地となってしまいました。
そんなとき、このプロジェクトの話を持ちかけられましたが、
はじめは綿花を見たこともなかったのだとか。


「農業=食料という想いでやってきたので、はじめはすごく戸惑いがありました。
けれど、稲作を再開できるような状況では到底ないし、何もやらずに結論を出すよりも、
ダメでもいいからとりあえずやってみようと決意したんです」(赤坂さん)。
そこで、同じような境遇の農家さんと共に1.2ヘクタールの農地で
綿花の栽培を昨年の6月よりスタートさせました。
種まきには、プロジェクトの参加企業を中心とした人々が集まり、総出で作業を手伝ったのだそう。
その後も、のべ400人ほどのボランティアの方々の力添えにより、
綿の木は、東北の地で着実に育まれていきました。


こうして順調に収穫ができると思った矢先、またもや自然災害がこの地を襲ったのです。
「昨年9月の台風で、この地域が再び水没してしまったんです。
1,000kgの収穫を見込んでいた綿花も、35kgほどしかとれませんでした。
それでも思い切って、今年は作付面積を昨年の5倍にしたんですよ。
震災前と同じことをするのではなく、新しい産業が必要だと思います。
私は、東北を綿花の一大産地にしたいんです!」と、転んでもただでは起きないのはさすが東北人!


昨年育てられた東北コットンは、ファッショナブルなデニムや
柔らかな風合いのハンドタオルなどに姿を変えました。
赤坂さん、「まだジーパンが手元に届いていないのだけれど、きっともったいなくて履けないよ。
額に入れるくらい貴重なんだから!」と、本当に嬉しそう。
使うことが支援に繋がる東北コットンのアイテムは、kurkku marketでも販売しているので、
みなさん、ぜひ実際に手にとってみてくださいね!

もちろん、まだまだ継続して農作業のボランティアも絶賛募集中とのこと。
この活動に興味のある方は、東北コットンプロジェクトのオフィシャルサイトをチェックしてみてください!

2012年8月19日

8/19 eco-reso talk「日本人のこころのゆくえ」

ap bank fes ’12 Fund for Japan、最後のeco-reso talkは、作家、ミュージシャン、俳優など、多方面で活躍をしているクリエーターのいとうせいこうさんと、社会学者で稀代の論客である宮台真司さんという豪華な顔ぶれ!

テーマは「日本人のこころのゆくえ」。
3.11以降、原発の問題をはじめ、さまざまな問題が浮き彫りになってきた今、「宮台さんの言葉を借りれば、(国や行政に)『お任せしておいて文句を垂れる』という“依存体質”が我々日本人の中にはある」と小林が問題定義をすると、「崖っぷちに必ず<危険>の看板を建てているのは日本だけ。いつからか過保護になってしまった」(せいこうさん)、「日本は世界中のどこよりも安心・安全・便利・快適で、どこよりも人が不幸な国になってしまった」(宮台さん)と、敗戦後、日本国民が自信を喪失してから国を建てなおしていく際に、国へ、アメリカへ、依存する性質が構築されてしまったのでは……などの議論が交わされました。

「『原発が止まると大変なことになる』というお上の言葉を信じている人々もたくさんいるけれど、みなさん、今年はいつになく暑い夏ですが、まったく大変なことになっていません」(宮台さん)。
「江戸時代の人たちは低成長経済の中にいたけれど、夏は川沿いで夕涼みをして楽しく暮らしていた。僕もクーラーは使わずにベランダで涼んでいるけれど楽しいです。シアワセとはなにかということですよね。」(せいこうさん)。

「3.11以降、原発さえ動けば景気が良くなる、という人もいますが、みんな思い出してほしい。3.11前も日本の景気はそんなによくなかったんですよ」というせいこうさんの言葉には、深く頷いている人が多くいました。
「“景気がよくなる”ということに対してコンセンサスがとれていない。もっと具体的なイメージを持たなければ。」と小林も続けます。

本日の登壇者である3人を繋ぐもののひとつは、せいこうさんと宮台さんが発起人となり、小林武史も賛同人として参加している「グリーンアクティブ」です。
グリーンアクティブとは 「所属する党や持っているイデオロギーが多少違っても、グリーンに関心があり、TPPに関心がある……、という人たちが集まるプラットフォームのようなところです」と宮台さん。
「NPOだったり、市民団体だったり、今、色々な活動をしている小さな団体がたくさんあって、そこをネットワークするブリッジのようなものになれれば」と、せいこうさんも続けます。
「小さなコミュニティから、小さく小さく積み上げていくからこそ、できることもあるはず。そこを繋げていくことが大切だと思う」とも。
(※詳細はグリーンアクティブのHPを)

「デモも報じられれば市民運動となって、法律をひっくり返すこともできるかもしれない。だから、例えば今日のような集まりについても、参加したみなさんにはTwitterなどで広げてもらいたいんです。」とせいこうさんは言います。
「最近は反原発デモなども盛んですが、大事なのは“報じられるデモ”をすること。TwitterやFacebookで広まっていけば、メディアも無視ができなくなる」という宮台さんの言葉に、「TwitterやFacebookなどは自分はあまり得意じゃないけれど……」と前置きをした小林も「そのボーダーラインを首相官邸前で行われている反原発デモのあたりで越えてきた気がする。ジャスミン革命もそうだけれど、ネットメディアが民意を伝える役割を果たしているということに救いを感じた部分がありました」と答えます。

小さな行動、小さな団体、小さなイベント、その一つひとつが繋がっていけば大きな動きになる。
例えば、小さな買い物ひとつでも消費者運動に繋がる。
それぞれが意識を持って行動していけば、きっと日本の未来に繋がるということを再確認できるような3人のトーク。
課題や問題点はたくさん浮かび上がってきたけれども、未来は自分たちで変えられるんだと思えるような議論に、猛暑の中、大勢の方が最後まで聞き入っていた様子。
話題が尽きることのないまま時間がなくなってしまい、「もっと話したいけれど、時間がないのでまた今度……」と再会を約束してのお開きとなりました!

2012年8月18日

8/18 ミニトーク3「石巻でボランティアが触れたもの」

みちのく初日、最後のミニトーク。
つま恋会場にも登場した災害復興支援ボランティア/ap bank fund for Japan現地ボランティアコーディネーターの中村真菜美さんと、石巻市民の阿部紀代子さんと毛利壮幸さんをお迎えして、「石巻でボランティアが触れたもの」をテーマに語り合いました。

中村さんは震災直後から石巻市を拠点に支援活動を続けていますが、津波で家も信号も流され、まさに右も左もわからない状況の中で、地元住民のサポートは何よりも頼りになったと言います。

一方、地元住民の2人は、ボランティアに対してどんな印象を持ったのでしょうか。
阿部さんは「縁もゆかりもなかった方々が自分たちを助けようと来てくれたことで、私も嘆いているだけじゃいられないと思えました」と語ります。

「ボランティアのパワーにびっくりした」という毛利さんは、ボランティアが当初、住民とあまり交流のないまま帰ってしまっていることに気づき、積極的に声がけを始めたそうです。そうして少しずつ打ち解け合うことで、お互いが目の前のやるべきことに対してひとつになれたのだとも。

トークの最後には、昨日、石巻の子どもたちと“ガチ”でサッカーをプレイしてきたというナオト・インティライミが登場。「人のために、自分の時間を割いて動き続けている3人は本当にすごいと思います。自分もやれることを精一杯続けていきたい」と話すと、会場は大きな拍手に包まれました。

2012年8月18日

8/18 ミニトーク2「地元に根ざした復興支援活動と復興共生住宅『手のひらに太陽の家』プロジェクトについて」

みちのくにて、2本目のミニトークは、日本の森バイオマスネットワークの佐々木豊志さんをお招きして、地元に根ざした復興支援活動と復興共生住宅「手のひらに太陽の家」プロジェクトについて語っていただきました。

「手のひらに太陽の家」は東日本大震災で被災した子どもたちをサポートする復興共生住宅のプロジェクト。宮城県に拠点を置くNPO・日本の森バイオマスネットワークが主体となって進めています。
プレハブの仮設住宅は、音漏れや結露など、いろいろと不便なことも多いそう。シックハウス症候群になって住めなくなってしまう子どもも少なくないそうです。
そこで「手のひらに太陽の家」プロジェクトでは、地元の木材と自然エネルギーを活用した循環型の住宅を建てて、復興住宅の代わりにそこに住んでもらおうという取り組みをしています。

「仮設住宅は250万円くらいで作れますが、2年経ったら出なければならないというもの。その後に多くのプレハブを処理しなければならないという問題もある」と佐々木さんは語ります。

大切なのは、「他人同士の共生」「地域との共生」「自然との共生」とも。地域に根付いた復興活動で、あらたなコミュニティも作っていく。そういう動きが、本当の地域活性に繋がるということでしょう。
「復興共生住宅は、通常の仮設住宅よりも費用がかかるし、国の補助もあまりありません。今は、いろいろな方の協力の元に成り立っています。地元の人たちが続けていけるよう、応援していただければ」と佐々木さんの言葉に、会場のみなさんも深く頷いていました。